卒園式は誰のためにある?

「卒園式はパパに来てほしい」

子どもの言葉を聞いた時、

「ガガーーーン!」

と頭の中で音が鳴り響いて力が抜けてしまった。

 

「なんで!?どうして!?」

「私、ママなのに!私が行くものじゃないの!?」

「なんでママじゃあかんの?」

「私の子育て、間違ってたのか!?」

 

いろんな言葉がものすごい勢いで頭の中に浮かんだ。

・・・

卒園式の少し前、保育園からもらってきたお便りに

「卒園式の出席は保護者一名で」との一文があった。

 

このご時世だ。仕方ない。

本当は夫婦揃って出席したかったけど、

ここは私の出番だ。

 

卒園式のための服も考えてあるし、

そのためのコサージュだって購入済みだ。

 

子どもに

「卒園式、やっぱりパパかママか一人しか出席できないって。

この前小学校からもらったお便りにも、

入学式も一人しか出席できないってあったね。

まぁ、このご時世だから仕方ないね。

卒園式、パパとママ、どちらに来て欲しい?」

と尋ねた。

 

まあ、私がママだし、

もちろん卒園式も入学式も私の担当守備範囲。

卒園式も入学式も私が出るつもりでどちらの服も考えてある。

 

それが当然と勝手に思いつつ、どなたかのSNS投稿で、

お子さんに、パパかママかどちらに出席してほしいかを聞いた話を読んだことがあり、

当然、「ママ!」と答えてもらえることを想定して、

形だけ子どもに希望を聞こうとした、

というのがその時の私だった。

 

すると想定外の答えが返ってきてしまったのだ。

「卒園式はパパに来てほしい」と。

 

「なんで!?どうして!?」

「私、ママなのに!私が行くものじゃないの!?」

「なんでママじゃあかんの?」

「私の子育て、間違ってたのか!?」

 

いろんな言葉が頭の中を駆け巡り、

グワーーっと熱いものも込み上げてくる。

 

でも、ここで「なんで?」と聞いたら

ただ、その理由を尋ねるだけ、

という雰囲気ではなく伝わってしまいそうだ。

 

「なんで私を選んでくれないの!?」

「私が行くのが当然でしょ!」

って聞こえてしまいそうだ。

 

というか、うっかりそんな言葉もストレートに出てしまうかもしれない。

私はグッと、息を飲み込んだ。

 

そもそも・・・

卒園式にはママが出なきゃいけない、

ということもないし、

子どもにこのタイミングで「パパ」と言われたことが

「私の子育てが間違っていた」

ということとイコールなわけでもない。

 

夫に伝えると、

「そのつもりで半日休みもらってたから♪」

と、卒園式に出席することに嬉々としている。

 

なんだかちょっと淋しい気持ちもするけど、

これはこれでまあいいか。

 

別に子どもの卒園式を生で見れなくたって、

それの何が問題?

 

よくある「そつえんしき」の看板の横で

子どもと並んで記念写真を撮るの、やりたかったな。

 

まあべつに、家で着替えて撮ればいいか。

良いも悪いもない。

と気持ちを落ち着けて、当日を迎えた。

 

・・・

 

卒園式の朝、

起きてきた子どもの顔は涙で濡れていた。

 

聞けば、卒園式に行きたくないのだという。

「お名前を呼ばれたら、『ハイ!』って元気よくお返事して、

一人で立って、前のステージのところまで歩いて行って、

園長先生から何か書いてある紙をもらってきて、

記念撮影の場所まで歩いて行って、お写真撮ったら

元の席に戻って、両手をグーにして、お膝の上に置いて

じーーっと静かに座って待っていなきゃいけないの。

それができないと小学校に行けないの。」

 

最後の日もおもしろいストーリーが起きてきたものだ。

この人は、この先どのように物語を展開させるのだろう。

 

最終的に、卒園式に出席しようがしまいが、

人生この先も生きていけるし、

別に小学生にもなれるからそこの心配はない。

 

子どもを抱っこして少しやりとりをした後、

キッチンに行って朝食を作った。

 

一緒に朝ごはんを食べながらまた子どもの言葉を聞き、

ご飯の途中で私の膝に乗り込んできた子どもを抱っこしてまたお話を聞いた。

 

「楽しく卒園式をやってこれるなら、本当は行きたい」

という子どもの言葉を聞くことができ、

それなら、と

本気のおまじないの言葉(笑)を伝えた。

 

大丈夫。

君がやりたいことなら、何だってどうせできるから。

 

いつだって、私が手渡したいのはこれなんだ。

 

最終的には子どもは

「ママ、今日持っていくもの、もう全部準備できてたよ!」

と意気揚々として、夫と家を出ていった。

 

・・・

 

卒園式から、帰ってきた子どもと夫は

笑顔満面で、「楽しかった!」との一言。

保育証書の受け取りも

子ども自身としては「できた!」らしい。

 

良かった良かった。

 

お祝いのご飯を食べたり、

ケーキを食べたりして、一日が終わった後、

一緒にお布団に入ってふと聞いてみた。

「なんで、卒園式にパパに来てほしかったの?」と。

 

すると

「ママは一番最初に出会った人だから」という。

 

「僕がママのお腹の中に来て、赤ちゃんの時、一番最初にママに出会ったでしょ。だから。

本当はパパにもママにも卒園式にも入学式にも両方来てほしかったけど、

今は仕方ないから。

だから、卒園式はパパ、入学式はママに来てほしいの。」

 

「ママは最初に出会った人だから、始まりの人ってかんじで入学式なのかな??」

 

「そう。だから、パーパ、マーマ、パーパ、マーマ、って順番にするの。」

 

最近、生意気な言い方もするようになってきた子どもだが

(誰に似たのかって私に決まってる笑)

この「パーパ、マーマ、パーパ、マーマ」の声が

おしゃべりし出したころのかわいさ満開の声質と一緒で

思わずグッと来てしまった。

 

いろんなことがあった保育園時代。

時に私の感情が掻き立てられることもあったが、

それは私の中に「クリアする必要のあるもの」があったからこそ、

それが問題となったのだった。

 

子どもが引き起こしてくれたことのおかげで、

私が自分で手放したかった感情を手放せたり、

幼い頃の自分から今に続く自分に、自分で◯をつけられる

チャンスをいただいた。

 

子どものおかげで、

自分の人生、生き直しをさせてもらえるんだな、

ということを確信させてもらえた、保育園時代だった。

 

卒園式は誰のためにあるのか?

もちろん子どものため、でもあるし、

親のためでもあるに違いない。

 

保育園時代を力いっぱい生き切った子どもに、おめでとう!

私も、家族も、おめでとう!

 

そしてこのご時世の中、いろんなことに気を配りながら、

無事に保育してくださった先生方に本当に感謝しています。

ありがとうございました。

 

 

◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯

小さな無限の可能性を解き放ち

くもりのない空をつくる人

ただくま みほ

https://55auto.biz/0909life/touroku/wakuwaku.htm

◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯◯

 

 

 

 

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